覚え書き

学習を支援する機構としての
新しい情報処理教育の提案



石原亘


◇情報処理科目群の意義

 多くの人々が知的な追及(芸術の場合、それは研究であったり制作であったりしますが)にあこがれています。しかし、知的な追及には忍耐も必要であり、それを維持していくのは並大抵のことではありません。本人に覚悟があってもなおそれを助ける機構が必要です。
 フラクタル論などの数学の勉強をする場合を例にとって説明します。本を読むだけでも数学の勉強はできます。しかし、たいていの人は途中で投げ出してしまうはずです。しかしもし、同じことを勉強しようとしている人や、少し前に勉強のその段階を何とかして経過してきた人がそばにいれば、よりながい期間にわたって学習へのテンションは維持し続けていくことが可能になります。
 疲れを忘れるのにもっと効果的なのは、学習には思考を巡らせていくスリルとか、ほかの人と知識や情熱を交換し合う時の快感もまたともなうのだということを知り、それが実際に起こるのを期待し、起こった時に見逃さないことです。このことは自分だけではなかなか分かりません。
 大学とはそのような、知的な追及への覚悟を援助するための機構であるべきです。この機能がないなら、大学は、学習のための装置として比べる限りには、書籍やビデオソフトとほとんど変わらないことになってしまうでしょう。

 誰もが学生の性質が変化してきていると言います。本人たちは大学はおもしろくないと言っています。大学によっては、大学の本来の目的とは異なった(したがってあまり得意ではない)方面で学生を楽しませようとしています。しかしそれは解決になっていません。学生が、知的な追及をおもしろいと感じられなくなっているのだから、それが感じられるようにするための手助けをするのが大学の現在における使命です。学生が受け入れてくれるはずだと勝手に思い込んで知識や技術を発信するだけでは、学校は書籍やビデオソフトにかないません。書籍やビデオソフトが決してしないこと、つまり、知的な追及への覚悟を自助できるようにする知識と訓練を提供することがまず必要です。ここで整備を提案しようとしている情報処理科目群は、それを行うための科目です。

 当然のことですが、以上のように情報処理科目群は決して、何かの流行に取り残されないようにするなどといったヒステリックな反応として行われるべきものであってはなりません。情報というフレーム(それは完全でも恒久でもありませんが)を通じて知的現象に対する理解と技術が相応に確立できたことにより、本来の大学に求められていた教育の一つの目標が、やっと実現できるようになったのです(ワードプロセッサの登場は、文章を組み立てることによって思考を深めていくという行為を従来よりずっと心地よいものに変えてしまいました)。
 情報化という現象がもしなかったとしても、情報処理科目群は大学という学習者の機構がある限り必要であったはずの科目です。
 環境が熟したのでようやく永年の懸案への取り組みを開始するという、冷静な態度で実現を推し進めていくことが肝心であると考えます。


◇情報処理科目群の構成

 以上のことを踏まえて新しい情報処理科目群の整備を提案します。この科目群は、情報システムの活用を可能にするためのではなく、自らの学習を開始し維持して行くための手段を獲得させるための制度として設置されます。この目的はすべての学的分野に共通ですから、情報処理科目群はすべての学部/学科/専攻の学生が共通に履修できる科目として開設されます。
 学習の手段の基本は、知的追及の快感を学生に伝えることにあります。そのためには、大きく分けて二つの方法があります。一つは知的な追及は意識的に行われる単純なものではないことを知識として提示し、情報の意識化への動機づけを行なうという方法です。またもう一つは、これまでに科学のいろいろな分野で実践され洗練されてきた精神の活性化の方法を実際に体験する機会を提供することです。そこで、情報処理科目群全体の構成もこれに合せて講義系と演習系との2群から構成します。


○精神現象への視座(知的追及の快さの知識)を獲得するための科目

 精神現象を理解するための立場は二つあります。一つのアプローチはモデル化によってそれを大つかみに(デッサンで複雑な細部はあえて無視するために目を細めて対象を見るように)理解しようとするものです。これは近年になって急速に発展した情報科学/情報工学のアプローチです。言わば作り出してみようとするアプローチです。もう一つは逆にそれを外から丹念に観察しようとする博物学的アプローチです。情報の博物学は何らかの学的体系をなしているというわけではありませんが、情報にまつわる現象は予測や意図を超えて自律的に成長している対象ですから、このようなアプローチもたいせつな役割を果たします。

 以下の2科目はそれぞれ半期の1限/週の講義科目として設定します。

情報博物誌
 コンピュータ以前史
 情報と自然
 情報と人間
 情報と社会
 (その他重要な話題)

情報科学
 コンピュータの概念・構成・機能
  ・人工知能
 オペレーティングシステムの概念・構成・機能
  ・ユーザインタフェース
 通信/記録技術
 情報表現
  ・操作の表現としてのプログラミング
  ・構造の表現としてのデータベースデザイン
 (情報システムの根幹となっている技術を知る)
 情報量理論
 オートマトン論
 数理論理学
  ・不完全性定理 
 (精神現象を一部ながら理解するためのフレームになっている概念を知る)

○学習の方法(知的追及の快さの体験)を体得するための科目

 学習の方法は学的体系によって千差ですが、中には多くの体系に共通なものもあります。その中でも特に重要なもの、効果的に体験できるもの、入学までには体験しがたいものを三つのジャンルに分けて体験します。また、単なるノーハウに止まらないように(そして誤用を避けるためにも)、それぞれの方法の意味についても検討を加えます。

 以下の3科目はそれぞれ半期で2限/週の演習科目として設定します。これらはそれぞれ独立して履修できます。つまり重複したりたがいに依存したりはしません。

発想法
 カードシステム/KJ法/アウトライニング
 作文を通じての思考の深化
 数値の背景の発見
 いろいろな図式化法
 (中高の[情報基礎]履修者を迎えるまではそれに相当する内容も含む)

取材法
 インタビュー
 アンケート
 フィールドワーク
 統計

コミュニケーション/記録法
 字、発話、表情、身振り
 電子メール
 電子掲示板
 図書館での情報の探索
 ネットワークでの情報の探索/提供
  ・ハイパテキスト設計
 プレゼンテーションにおける視聴覚提示
 電子/人的コミュニケーション/記録の概念・構成・機能
  ・プログラミング

 以上の3科目では(科目の主たる目的ではありませんが)、学生がその後の研究、制作その他に必要とする情報システムの操作と活用に関する十分な理解も達成させます。
 ただし、実習に必要な最小限の知識は獲得していることを履修の前提とします。そのために、原則として以下の内容の講習会に参加しておく必要があります。

情報システム操作技能
 共通インタラクション
 テキストメソッド
 ドキュメント(フォルダ、デバイスを含む)管理
 コンピュータ操作
 記録媒体操作

 この講習会は全体で4限相当ですが単位外で開講します。また、情報処理科目群を履修しない学生や教職員も参加できます。

◇情報処理科目群の運営

(割愛)


◇他の科目との関係

 情報処理科目群は、既存の多くの科目と密接なつながりをもつことになります。特に、教育の形態および目標において、外国語教育は類似しています。慶応藤沢やノートルダム女子大にはこれらの科目の合体への試みがあります。

 当面はこれらの科目とは、ある点では重なり合いつつたがいを補い合う関係を保っていくことがたいせつでしょう。しかし、それぞれの科目を担当する教員が教育に関する合同プロジェクトを積極的に組織して、たがいの有機的結合を(それが有効であるなら)推し進めていくようにする必要が大きいと感じます。

◇設備

 情報処理教育は情報システム(=コンピュータ)の操作を教育するものではないことは再三にわたって強調してきたとおりです。しかし、次の論点を考慮すると、情報システムを教具として活用することが、すでに提案してきた情報処理科目群の実現にとってたいへん重要な意味をもつことに同意していただけると思います。

○情報が直接には感覚にかからない対象ですから、それを感覚できるようにするためには教具としての情報システムが欠かせません。
○個人が一人の肉体と精神だけによって行う情報処理と、電子的な情報システムやそれによって結び合わされる社会との協働関係を通じて行う情報処理とでは全く異なった様相を帯びることになりますから、情報システムをともなう科目の展開もまた情報処理科目群にとって重要です
○情報システムは(現在の技術ではよくも悪くも)活用しようとするものに対して、自分がなそうとする目標と手段と対象を意識しなければ機能できないようになっています。これは、無意識に通過してきた情報現象を意識させるすぐれた契機を提供します。

 また、情報システムは情報処理を効率化します(=コンピュータを活かして使えば短い時間の実習でも多くの体験ができるようになります)。実習を効率的に行なうことは、他の既存の科目を圧迫しないようにするためにも重要です。

 以上から、情報システム(コンピュータ)を情報処理教育のさまざまな科目で教具として(教育の対象としてではなく)使用することが重要です。
 さて、教具としての情報システムに求められる要件は

○学習者の熱意を不用に削がないように、情報処理の体験のために効果的であること
・効率的であることも有益ですが、プライオリティは必ずしも高くありません
・演習/実習の科目ではクラスの全員が1台を一人で利用できる台数を確保することが特に重要です
○学習者が各自の大学生活を通じて実際に接する(実習室で使ったり、自分で購入したりする)情報システムと設計が基づくところの概念がかけ離れていないものであること
○情報処理科目群で扱う情報現象の本質が極度に覆い隠されずに明らかにされていること
・特定の用途に特化したシステムはどんなに操作が容易であっても、情報処理科目群での目的には適していません

 ほかに、可能であれば考慮したい要素として以下の点が挙げられます。

・情報処理科目群ででの使用を離れて、実際に研究、制作、その他の学生生活に関する情報処理に実際に活用できるようにする。これが満足されれば、情報処理科目群での体験をさらに実践に外延できることにもなる。
・実習、演習、演示に必要な備品が既存のものとして相当数整備されている。
・他の科目と共通の設備が使えれば、学習者は教具の操作を二重に学ぶ負担がない。
・少なくとも現状の効果を数年にわたって維持していくための経費を軽微にする。これは、科目の運営に関して生じるさまざまな決定を危険をともなわずに行なえることに通じる。


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