論文

芸術系大学における基礎専門教育としてのハイパーカード制作





3. 実習の題材としてのハイパテキスト制作における技術的困難

 ハイパテキスト実習を情報リテラシ教育の一環として導入する意義はすでに明らかにした(→2)とおりであるが、その実現のためにはいくつかの技術的な問題を解決しなければならない。中でも三つの問題が深刻である。これらの問題は、ハイパテキストにとって本質的な二つの特徴と、一つの社会的な事情に由来している。

3 . 0 . 2層の構造から生じる困難

 ハイパテキストの最も重要な特徴は、個々のカードとそのネットワークという2層の構造を持つ点である。したがって、ハイパテキストを制作する工程は、それぞれのカードに作文や描画を施すフェーズと、それらを互いにリンクする作業のフェーズとに分れ、これらが順に繰り返されて作品が組み立てられていく。この二つのうち、ハイパテキストに固有の、ぜひ強調しておきたいのはリンクのフェーズである。しかし、課題を与えて学生に実作させてみたところ、リンクが全く張ってない作品が時間切れで提出されることが非常に多かった。おそらく、リンクのフェーズがカードのフェーズのあとで行なわれなければならないことと、学習者が馴じみの薄いリンクの作業をどうしてもあと倒してしまう傾向があることの二つが原因であろう。これでは作品も完成できないし、学習のポイントも見逃されてしまう。
 これを解決する最善の方法は、1 / 2 + 1方式とでも呼ぶべきスパイラル法の変形である。すなわち、素材となるカードをあらかじめ相当件数用意しておいて、その中にリンクを張る作業から実習を開始する。この方式なら、作業に興味が湧くまで十分にリンクを実習する時間が確保できる(工程の後半の 1 / 2)。そして、その作業が一応完結してから、各自が自分の作品にとって必要な独自のカードを追加したり、レディメードのカードを直したりするように指導する。このあとで再びリンクの作業を行なえば、全体ではスパイラルによって制作の工程を 1 / 2 + 1周繰り返したことになる。

3 . 1 . 作品の規模から生じる困難

 ハイパテキストのもう一つの特徴は、それが規模の大きい情報系の表現のための形式であるという点である。せいぜい 1 0枚程度のカードを管理したり利用したりするだけであれば、それをテーブルに広げればいいのであって、何もハイパテキストを組み立てる必要はない。このことは、ハイパテキストの意義を理解するために、学習者は臨界量以上の十分な枚数のカードを素材として準備しなくてはならないことを意味する。実際にも、最初の年度などは、半数以上の作品が4〜5枚のカードしか含んでおらず、したがって、リンクを張ることさえできない状態であった。
 しかし、臨界量の素材を確保するのは、作業時間を考慮すると容易なことではない。たとえば、[コンピュータ演習]のハイパカード実習では、スケッチをもとにハイパテキストを制作させている(→4 . 2)が、(芸術系の学生でスケッチに慣れていると言っても)A6程度の小さなスケッチを現地で描くのには、急いでも5分はかかる(仮りに 2 0枚描くとして2時間弱)。しかもそれをたて続けに何枚も繰り返さなければならない。アンケートによる調査でも、この作業が苦痛だったと訴えるケースが多かった。
 この問題も、 1 / 2 + 1スパイラル方式で解決するのが最善であると思われる。ほかにもいくつかの対策が考えられるがデメリットが大きい。
 たとえば、スケッチの代わりにスチルカメラなどを取材に使えば、少ない作業時間と労力でより多くの素材が集められる。しかし、作品の性格から画像の構図が限定されてしまい、誰が作っても同じような作品ができてしまう。また、 [ H y p e r C a r d]のように白黒2値画像しか扱えないシステムでは、写真のような中間色画像をブローダウンして持ち込むと、作品の品質が耐え難く低下する。
 また、グループで制作させる手段も考えられる。この方法を適用するには、ユーザごとにアクセスの内容(読み/書き)をコントロールできるネットワーク対応の教具が必要である。また、分担して作業するために、個々の学習者に対する指導や評価が難しくなるという新たな問題が生じる。

3 . 2 . プラットフォームの欠如による問題

 実習において目標を提示する場合には、それが達成できたかどうかが学習者に明確に把握できるようにするのが望ましい。芸術教育では、独立した作品を完成させるように指導するなどの方法が考えられる。ハイパテキスト実習でも、なるべく作品を制作するように指導した方がいい。
 ハイパテキストはもともと文学から派生したものであり、しかも読者/観客が個々に操作して対話的に読む/見るものであるから、記録媒体に載せて配布するのが最も適した発表方法と思われる。しかし、以下に述べる三つの理由から、ハイパテキストとして作品を配布することは極めて困難である。
 まず、ハイパテキストはコンピュータに依存し過ぎる表現方法である。現在、コンピュータを活用して制作されている芸術作品には、絵画・音楽・文学などいろいろな形態のものがあるが、それらのほとんどは、コンピュータから切り離して展示(音楽なら再生、文学なら出版)することが可能である。しかし、ハイパテキストだけはコンピュータの助けを借りないと閲覧できないのでそのようなことは不可能である。
 次に、上に挙げた形態の作品は、機械可読状態のままで移植して、移植先の別のプレーヤで展示することもできる。これもハイパテキストでは不可能である。このような可搬性が一番高いのは文学である。テキストであれば、どのようなコンピュータシステムであってもそれをディスプレーに表示できないということはまずあり得ない。やや程度は落ちるが絵画ならいわゆるRGBべた形式、音楽なら M I D Iコマンドなどが同様に標準形式として確立している。ところが、ハイパテキストにはそのような標準フォーマットが存在していない。たとえば動画像情報の標準フォーマットが確立しつつあるのと比べれば、構造が複雑であるなどの理由を鑑みても、著しく遅れていると言っていい。
 最後に、ハイパテキストのプレーヤは一般的に言って普及率が低い( [ H y p e r C a r d]は M a c i n t o s hシリーズで 1 0 0%の普及率を誇っているがこれは例外)。したがって、百歩譲り、制作したのと同一の構成のシステムだけに配布しようとしてもやはり閲覧の可能性はコンピュータの普及率に比べて著しく低い。
 この問題に対する現在の状況で唯一の解決は、せめて [ H y p e r C a r d]などの(特定のファミリにおいてであれ)最も普及している制作/閲覧システムに対応した作品を作らせて、フロッピや電子掲示板サービスで配布できることを指摘することである。

3 . 3 . その他の問題

 以上のほかに、ハイパテキスト実習を効果的に進めるために留意しておかなければならない問題点をいくつか列挙する。
 ハイパテキストに限らずマジックを強調する実習では、学習者にとって、与えられた課題は、生まれて初めての新しい体験であることが多い。このため、学習者は行なうべき作業そのものの方法も学ばなければならないし、そのために必要なコンピュータの操作も習得する必要があるので、2重に困難を抱えることになる。この結果、負担が重過ぎて学習の成果が得られなかったり、情報処理そのものとコンピュータの操作とが区別できなくなって、教育を受けた環境における特殊なケースによってでしか情報処理が理解できなくなってしまう危険がある。
 また、このように、素材を資料や現地から採集してこなければならない実習では、データソースを実習の現場の近くにセットしておくことが重要である。以前に、各自の通学路を題材にして作業させたことがあったが、作品の内容が極めて貧相になってしまった。これは、制作中に現場を取材し直すことが困難であったのが原因であると考えられる。




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