講演資料


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01.00 チャージの実体

 学校は実はもともとチャージの機能を持っています。それはおもに教師やほかの学生の人格に基づいて成り立ってきました。いわば薫陶です。教師との交流は講義などで、ほかの学生との交流は輪講や演習室の作業を通じて行なわれてきました。これらの場に立ち合うことによって、学習の快感が得られることを、学生は求めています。これは独学では全く得られない要素です。これがなければ、よほど強い外的な動機がない限り、学習を4年間にもわたって続けていくことはきわめて困難でしょう。そしてまさに、この学習の快感を提供できることこそが、書籍ではない学校が備え得る、そして備えるべき独特な機能であるはずです。
 たとえば、演習室に学生が集まって同時に作業していれば、たとえばほかの学生がプロシジャを一つ完成させて試走に入った、ということがたがいに手に取るように分かります。そのことが意識を高揚させて学習の快感をもたらすわけです。筆者はこの機能をチャージの機能と呼んで、学習のための隠れ家を提供するホールの機能に対立するものとしてとらえたいと考えています。


01.01 チャージへの要求

 チャージとして機能することが学校にとって重要だという実感は、芸術系の学生たちと授業で接して非常に明確に感じるようになりました。これとよく似た感覚は、体育系や工学系で教えておられる方には、きっとよくわかっていただけると思います。

 筆者は、96年度に担当した[コンピュータ演習]と[情報論B]の二つの情報リテラシ科目のカリキュラムの設計において、学習への意欲を維持することに留意することにしました。そして、科目が終了したあとで受講した学生を対象に意識調査を行ない、意図がいかされたかどうか検証を行ないました。
 その結果は次の資料にまとめてあります。

00 石原亘、"京都造形芸術大学情報リテラシ科目[コンピュータ演習]自己点検のための終了時点意識調査集計(96年度集中クラス)第1部"、(教育報告、96-10-01)
01 石原亘、"京都芸術短期大学情報リテラシ科目[情報論B]自己点検のための終了時点意識調査集計(96年度マック班)第1部"、(教育報告、96-10-01)

 この調査では、授業のふんいきに関する質問(上記資料の設問29〜31)に対する回答で、分散の大きな結果が得られました。これは、意欲の維持の支援に対する学生の関心が大きいことを表わしていると考えられます。


01.02 どこが問題か?

 それにしても、チャージの機能を強化していくのは容易ではありません。チャージはコミュニティにおける共生の感覚の上に成り立っています。通常は、このような感覚を形成するためには、(学習の進行などの)情報を対面で交換しなければなりません。しかし、対面であることからプライベートな関係まで立ち入られてしまったり、リカレント学習や在職学習が困難であったりします。そもそも、わたしたちはいつのまにかそれが当然だと考えていますが、大学に入学するためには大学の近辺まで引っ越してこなければなりません。
 逆に、現状では交流のチャネルが狭すぎることも問題の一つです。週に1回しか行なわれない輪講と輪講との間は学生や教師の交渉が全くとだえてしまうことが起こりがちです。
 この極端な例として、特殊なケースですが映像表現の教育があります。この分野では、学習にともなう作業(作品の制作)はおもにそれぞれの学生の現場で行なわれていきます。演習室に集まるのは、逆に学習が中断しているときです。そのために、ほかの学生も作業を中断しているという安心ばかりが教室の中で共有されていき、学習への意欲がかえって減退していくという結果を生じることがあります。


01.03 情報ネットワークでどこを変えるか?

 以上のことから、学生と学生、学生と教師との間の情報の流通が、これからの学校にとって重要であり、しかし、現状ではそこにいくつかの困難があることが分かりました。それらの困難を避けていく手段はいろいろな方面に検討されていくべきですが、ここでは、情報ネットワークを解決に役立てる方法を考えてみます。
 学生や教師がたがいにつながった一つの情報ネットワークを形成すれば、教室だけでなく、学習さえしていればそこが通学のバスの中だろうと下宿だろうと、たがいに学習の経過を共有することができます。同じ演習室で作業したり輪講に出席したりすることの比重はもっと押し下げることができます。場合によってはそうしたことをほとんど不要にしてしまうことができるかもしれません。
 学校にネットワークを持ち込むという試みはずっと前から行なわれていますが、しばしばそれは講義や教科書の代わりとして情報の伝達や収集の強化に役立つという、学校という装置の機能とは関係のないレベルでしか理解されてはいませんでした。このような考え方でしかネットワークを導入しないのなら、行き着く先は強化された学校ではなく、学校であることが放棄された人気のない放送スタジオです。
 教育への情報ネットワークの導入に対する従来のアプローチ(上)と本稿でのアプローチ(下)とを対比してまとめてみます。
映画的 固定的 内容が重要 執筆者から学生へ
電話的 流動的 過程が重要 学生から学生へ 
 こうしたネットワーク化が理想的に実現したら、物理的なキャンパスとは関係なくすべての場所が学校になってしまいます。そのような環境では、在学ということばは学校に在るのではなく、学習しつつ在ることを表わすようになるでしょう。


01.04 何をしなければならないか?

 このようなネットワークの導入のためには、ひとりひとりがそれぞれの情報ターミナルを持つ必要があります。それも、固定された情報をクライアント/サーバでやりとりするのではなく、ピア/ピアな使い方が中心になります。このようなネットワークを実現するための課題には次のようなものがあります。
何をどう流させるのか?
どうやって使えるようにするのか(システム)?
どうやって使えるようにするのか(ユーザ)?
どうやって使いたくさせるのか?





モノグラフ
夢想された超広帯域ネットワーク社会


 情報ネットワークによって刻々の行動が共有される世界のイメージは、現実の自然な外延としていくつかの映像作品で生きいきと描き出されています。

02 士郎正宗、"攻殻機動隊"、(単行本:講談社、91-10)

 たとえば、このまんがには、近未来の世界で活躍する武装警官たちが描かれていますが、かれらは自分の脳を一つのノードとして直接に接続できるネットワーク技術を持っていて、首筋のジャックにケーブルをつないで移動する車の中でも待機している現場でも自由にブリーフィングを行ないます。この物語の中に、警察の署屋がほとんど登場しないというのはおもしろい象徴です。


(クリッカブルサムネール)


03 Francis Deliaほか(監督)、"Max Headroom"、(TVシリーズ、放送開始87-03)

 このシリーズに描かれている時代のTV局は、現場のレポータと局にいる指揮スタッフとがペアを組んで取材を行ないます。指揮スタッフは局にいて、現場の状況や役職を実時間で調べ出してレポータに伝えます。レポータはこの情報にしたがって現場に突撃します。視聴者に顔が見えるのはレポータですが、レポータが現場で的確に取材できるかどうかは、すべて指揮スタッフの能力にかかっています。





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