報告者は、これまでにいくつかの大学/短大でいわゆるメディア教育を担当してきました。一つは今でも進行しています。
メディア教育というのはまだ固まっていない概念ですが、メディアによって強化される情報リテラシの教育、と理解していただくといいと思います。そのほとんどは、理/工学系以外の学部のための科目でした。それらの科目のカリキュラムを設計するに当たって、報告者がいつも注意してきたことが一つあります。それは、よく言われる
"リテラシは読み書きそろばん"のうちの、
書くことを中心としてリテラシを確立させるように工夫するということです。
しばしば、メディア教育は、もうでき上がっている情報をどう集めてどう使うか、という目標に重点を置きすぎるようです。WWW(を見ること)の流行が、その傾向をさらに押し進めているかもしれません。しかし、現在の、魔術的なほど非日常的な技術に基づいて行なわれている情報システムの構築からは全く遠ざけられている非理/工系の学生は、ただでさえメディアに対して受動的な姿勢を取りがちです。ですから、せめて
メディアを通じてやりとりされるもの(=情報)の内容に関しては能動的に対峙していくべきだということ、そうすることのおもしろさ、可能性(あるいは限界)を提示して見せることを教育の目的にしてもいいのではないでしょうか。
もちろん、読むこと、活かすこと(=そろばん?)も重要です。けれども、この二つにしても、書くという行為の方を基準にして学習するのなら、また新しい局面が開けます。たとえば、ある記事をWWWの中から見つけて読むにしても、その記事がは、読者に(それとも世界に?)何をさせようとして書かれているのか、そのためにどう書かれているのかを知るために読もう、とよびかけていけば、学習者の読み込みはもっと深まるはずです。
この報告では、このような前提から行なってきた、送信的(=内容に関して能動的)メディア教育の実践について報告したいと思います。
このフォーラムのキーワードは"創造"ですが、
創造という概念は、
受信的であるよりも送信的である、という、もう少し容易な態度の領域の極限としてあるように思います。ちょうどマンデルブロ集合は誰も見たことがないけれども子持ちだるまの極限として誰もが理解しているように。ですから、この報告で紹介することがらのはるかな先に、創造のための教育が見えるかもしれないというのが報告者の願いです。
まず、この節では、これまでに実際に試してみたメディア教育の三つの実例について概要を紹介しておきます。
ちょうどいいことに、三つの実例はそれぞれ異なった特徴を持っています。その違いを表にまとめてみます。
科目
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設置学科
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基礎/専門別
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コンピュータ演習
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芸術系
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基礎科目
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アニメーション/石原ゼミ
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芸術系
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専門科目
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プリントメディア演習
マルチメディア演習
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社会科学系
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専門科目
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0.0 [コンピュータ演習]
0.1 [アニメーション/石原ゼミ]
0.2 [プリントメディア演習]・[マルチメディア演習]